2012年10月29日月曜日

【報告】東北応援バスツアー・被災地の今を見つめた48時間レポート(3)


被災して骨組みだけとなった防災対策庁舎の前に咲く、一輪の花。これは、今回の参加者の一人が撮影した一枚の現地の風景です。津波によって何もなくなってしまった場所で、505日が経過。今では一面、うっそうと草が生い茂り、時間の経過を感じさせます。その中で、凛と咲くその姿は、一つの希望の花のようにも見えます。

今回は、前回に引き続き、東北応援ツアー48時間ドキュメントの後半をレポートします。


29日午前8時。

昨晩、夜遅くまで初日に経験した出来事を宿舎でシェアしたメンバー達で、朝の漁港を散歩。かつてを知るはずもない我々にとっても、かつては家屋があったであろう場所に、何もかもが津波にさらわれてしまったことが、はっきりと分かる形で、その爪痕は残されていました。

その漁港を一望できる場所に、自分の背丈よりも小さい程度の慰霊碑が建てられていました。メンバー皆が、自然とその前に立ち、手を合わせ、505日前の出来事に想いを寄せました。

その傷跡は、その後も垣間見えました。復興応援パフォーマンス会場である伊里前(いさとまえ)福幸商店街に向かう道すがら、南三陸町内を巡回。至る所で、かつてあったであろうインフラが突然なくなっている風景が見え、メンバー皆が心痛な想いとなりました。


私を含め、1年前に被災地に向かったメンバーにとっては、違った見方をしていました。それは、津波によって何もかもさらわれてしまった、まっさらだった大地に、草が青々と一面に生えていたことです。

一見、のどかにも映る風景は、1年前に見た「ゼロの風景」が脳裏に刻まれている我々にとっては、複雑で、奇妙な思いに駆られました。

草が生い茂った風景は、何もない風景と比べて、不思議と、どこかで安心してしまう気持ちがある一方で、一向に進まない現地の復興の現状を、つくづく思い知らされました。


午前10時。パフォーマンス会場である伊里前福幸商店街に到着しました。歌津地区にあった伊里前(いさとまえ)商店街は、震災で店舗が全壊しました。昨年12月、歌津公民館跡地に商店街の店主を中心に、仮設商店街としてスタートしたのが、この伊里前福幸商店街です。

この商店街では、南三陸の海の幸が堪能できる商品も多く取り扱われており、遅めの朝食をとる者もいれば、お土産として海産物を買っていく者もいて、買い物も賑やかで盛り上がりました(とてもおいしかったです!)。


いよいよ、南三陸で現地の復興を応援する日ということで、皆で協力して会場設営。

チアリーダー達も気合のパフォーマンスを展開。ブレイクダンスはなんと特設ステージで披露。

商店街に買い物に来たお客さん達と一体となって盛り上がりました。

ギャラリーとして我々のパフォーマンスを観て下さった方々からは「本当に日頃は東京で一般の社会人をやってる人達なんですか?」という、驚きの感想(?)を頂きました。

パフォーマーの皆さんは、この日のために、平日の仕事が終わった後や休日を使って、被災地を応援するという想いのもと、練習を積んできました。

彼らは、決して芸能人やタレントではありません。平日はオフィスで働く普通の社会人たちです。しかし、かえってそのことが、現地の方々に共感してもらえた、そのように感じました。

プロではない努力を、その想いとして現地に届けることができました。

パフォーマーの皆さん、お疲れ様でした。

伊里前商店街で復興応援パフォーマンスを通して現地の人達と触れ合い、再び町内を巡回。

昨晩、語り部体験をした際に寄った南三陸町防災対策庁舎に、再び訪れました。

夜だったのであまり見えなかった防災庁舎の全貌が、その時ははっきりと見えました。

昨晩の語り部ガイドの話を思い出しながら、メンバー全員で黙祷を捧げ、被災地の一日も早い復興をお祈りしました。

この防災庁舎をめぐっては、さまざまな議論が巻き起こっています。それは、存続か、解体か。広島の「原爆ドーム」のように、災害の悲惨さを教訓として後世に伝えていくための、メモリアル施設として存続させていくべきである。そういう主張がある一方で、あの日に起きた凄惨な出来事を、徒に思い返してしまうので、一日も早く解体すべきである、という主張もあります。

両者食い違う意見が、現地でも巻き起こっていることについて、我々にできることは何か。皆がこの場所で考えました。

午前12時。

地元の人達が協力して立ち上げた「南三陸さんさん商店街」で楽しくお買い物をしました。「買う」という行動も、経済的な復興支援の一つだと考えています。南三陸の人達と触れあいながら、会話を交わしながらのお買い物は、それだけで、お金では買えない付加価値得ることが出来ます。そして、なんといっても食べ物がおいしい!!私は焼きウニや焼きサザエ等に下鼓を打ちましたが、本当においしかったです。毎日の「買う」という行為を、少し変えるだけでも社会は変わる、かもしれないと思わせてくれる旅でした。

その後は東京に向かって一行はバスで移動しました。車中はずっと、2日間の体験したことや感動したことを語り合いながら、そして大騒ぎ?しながら岐路に着きました。しかし、このツアーはほんの入口、きっかけづくり。本当の復興支援は、東京に戻ってから。我々T2Sは、今回現地で構築したネットワークを活かした、東京×東北の連携を、積極的に展開していきます。

以上で、3回に渡る現地レポートは終わりです。長文ご覧いただきありがとうございました。次稿からは、東京に戻ってからの、復興支援の取組みを紹介します。

レポート:平間忠太